大阪高等裁判所 平成10年(ラ)303号 決定 1998年4月30日
抗告人
近松司
右訴訟代理人弁護士
西田雅年
同
野田底吾
同
羽柴修
同
本上博丈
相手方
パールシステムズ株式会社
右代表者代表取締役
吉村直
主文
一 原決定を取り消す。
二 本件移送申立てを却下する。
理由
一 本件即時抗告の趣旨及び理由は別紙「抗告状」(写し)記載のとおりである。
二 当裁判所の判断
1 「事務所・営業所」所在地の裁判籍について
次のとおり訂正、削除するほかは、原決定理由説示(原決定二頁八行目から八頁六行目まで)のとおりであるから、ここに引用する。
(一) 文中「原告」とあるを「抗告人(本案事件原告)」と、「被告」とあるを「相手方(本案事件被告)」と各訂正する。
(二) 四頁末行から五頁三行目までを次のとおり訂正する。
「(四) 抗告人に対する給料の支払方法については、労働協約、就業規則等に定めがなく、相手方は、抗告人に対し、いわゆる口座振込の方法、具体的には毎月二五日に抗告人の指定した同人の住所地に近いさくら銀行甲南支店の抗告人名義の普通預金口座に振込送金する方法で支払っており、相手方は、右送金手続を東京都に所在する東京三菱銀行の支店において行っていた。」
(三) 五頁八行目「単に、」から一〇行目「解される。」までを次のとおり訂正する。
「他から指揮監督を受けて業務を執行するにとどまる場合には、仮に独立して業務を行いうるような外観を備えているからといって、直ちに同条にいう事務所又は営業所に当たるということはできない。」
(四) 六頁七行目「その旨の」から七頁一行目までを次のとおり訂正する。
「その旨の抗告人の陳述書(疎甲八、九)もあるが、右陳述書記載のとおり、抗告人が受けた注文について、相手方が決裁権に基づき拒絶したり、修正等をさせたりすることがなかったとしても、これは、事実上その必要がなかったからであるともいえ、相手方の本社決済によらずに商品の売買契約等を締結する権限は与えていなかった旨の陳述書(疎乙二)に照らしても、直ちに抗告人の主張を認めることはできない。」
(五) 七頁九行目から八頁四行目までを削除し、同五行目「5」とあるを「4」と訂正する。
2 義務履行地の裁判籍について
本件においては、前記1で認定したとおり、抗告人に対する給料の支払方法については、労働協約、就業規則等に定めがなく、相手方は、抗告人に対し、いわゆる口座振込の方法、具体的には毎月二五日に抗告人の指定した同人の住所地に近いさくら銀行甲南支店の抗告人名義の普通預金口座に振込送金する方法で支払っており、相手方は、右送金手続を東京都に所在する東京三菱銀行の支店において行っていたものである。すなわち、本件においては、相手方の本店所在地等に抗告人が出向いて取立ての方法で給料を支払うことは予定されておらず、民法の原則のとおりに抗告人の住所地で持参の方法で支払うことを予定しており、右口座振込の方法による支払は、右持参の方法による支払のためにとられているものと解される。
そうすると、給料支払義務の履行地は、抗告人の住所地であるというべきである(相手方は、労働者が指定する金融機関の口座が存在する場所が義務履行地であるとすると、労働者が任意に義務履行地を選択できることになって不合理である旨主張するが、右主張はその前提を欠いて理由がない。)。
これに対し、相手方は、銀行振込の方法をとった場合、債務者が払込手続をとれば債権者への支払手続の確実性に欠けるところはないから、債務者が銀行の支店等に送金手続をした時点で義務の履行が終了したものと解すべきであり、送金手続を行う場所が義務履行地である、と主張する。しかし、銀行振込の場合、通常は債務者が払込手続をとれば債権者への支払手続の確実性に欠けるところはないとはいえるが、万一銀行の送金手続の過誤等で債権者の指定口座に入金されなかった場合には、債務者の義務が終了したことにならないのは明らかであり(現金書留の方法等で送金した場合も同様であり、郵便局等の過誤で債権者に送金されなかった場合には債務者の義務は終了したことにはならない。)、債権者の指定口座に入金されて初めて債務者の義務が終了するというべきであるので、相手方の主張はその前提を欠くものというべきである。すなわち、銀行振込は、義務履行のための一つの方法に過ぎず、本来の義務履行地はこれにより左右されるものではない。
したがって、本件においては、抗告人は、相手方に対し、相手方による解雇が無効であるとして、解雇無効の確認及び未払給料の支払を求めているところ、給料支払義務の履行地を管轄する裁判所は原審裁判所(神戸地方裁判所)であるから、原審裁判所に管轄があるというべきである。
三 よって、本件移送申立てを認容した原決定は不当であるからこれを取り消し、本件移送申立てを却下することとして、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 中田耕三 裁判官 高橋文仲 裁判官 中村也寸志)
別紙抗告状
抗告の趣旨
一、原決定を取り消す。
二、相手方の移送の申立てを却下する。
との裁判を求める。
抗告の理由
一、本件は、被告会社が、解雇の理由無く原告を解雇したものであるとして、原告が被告会社を相手に、解雇の無効確認と未払賃金の請求を求めて、神戸地方裁判所に訴訟を提起したものである。
これに対し、被告会社は本件を東京地方裁判所へ移送する旨の申立を行い、原告は、神戸地方裁判所に本件の管轄がある旨主張した。原告は、その根拠として、原告が自宅を事務所として営業活動を行っていたことが旧民事訴訟法九条の「事務所又は営業所」に該当すること、及び労働者に対する賃金請求権は民法四八四条の持参債務の原則により、原告の住所地が旧民事訴訟法五条の「義務履行地」に該当することをそれぞれ主張した。
以上について、原決定は、原告の右主張をいずれも否定して、本件を東京地方裁判所に移送するとの決定をなした。しかし、原決定には事実の誤認及び法律の解釈に誤りがある。以下、詳述する。
二、まず、原決定は旧民事訴訟法九条の「事務所又は営業所」の裁判籍について、原告の自宅は、被告の業務を独立して統括経営している場所ということはできないとして、管轄を認めない。具体的には、原告においては、名刺の表示や電話帳の記載等から、外観は独立して業務を行っていると認めながら、業務の内容は取引先との商談に過ぎず注文受諾の決裁権は被告の本店にあるとしている。そして、原決定が右認定の根拠としてあげるのは、被告代表者の陳述書のみである(原決定五〜六頁)。
しかしながら、原告は外観上も内実も、被告会社より独立して自宅において義務を行っていたことは十分に認められる。以下、理由を述べる。まず求人票(甲第二号証)によれば、職務内容は被告会社製品の販促であり、具体的には代理店の開拓、代理店の営業サポート、営業活動となっており、被告会社においては単なる営業マンの募集をしていなかったことが認められる。次に、実際被告が採用した条件としては、原告を営業部長として採用し、大阪を勤務地にしており(甲第四号証)、従来被告会社が営業の拠点としていなかった西日本に営業拠点を確保しようという意図が認められ、そのため原告の待遇も営業部長としていることが認められる。しかし、実際には大阪に営業拠点を確保できなかったため、次善の策として原告の自宅に営業拠点を置き、原告に対して西日本営業部長の肩書と自宅を営業所とすることを認めていた(疏甲第一号証)。そのため、被告会社における会社概要でも、日本においては東京と並べて大阪と記載され(疏甲第二号証)、被告会社名義の電話を設置し(疏甲第三号証)、電話帳においても被告会社の名称が記載されることになった(疏甲第四号証)。さらに、被告会社は、原告の自宅にファックスやコンピューターを設置し、実際にも取引先との具体的な取引内容についてのやりとりを行っていた(疏甲第五号証)。なお、原決定は事実認定において、商談がまとまると覚書を交わす旨の認定をしている(原決定三頁)が、被告の主張からしてもこの点まで主張していないので、事実の誤認がある。
以上から、原告は対外的には被告の本社と独立した形態で勤務をしていたことが認められる。しかも被告会社においても原告は単なる営業マンではなく、一定の権限を与えられた責任者としての地位が認められる。特に、被告会社においては原告が入社した当時は社長を含めて五名しかおらず、しかも唯一の上司である社長も中部地域の営業の仕事をしていたこと、原告の年間給与額の約五〇パーセントが業績給であったということ(疏甲第九号証)から、西日本地域においては原告に全て任されていたということは容易に理解できるところである。
他方、被告は代表者の陳述書を提出するのみで他に何らの疏明をしていない。従って、当事者間の疏明の内容からしても、原告の主張は十分に裏付けられることになる。しかも、本件は解雇の効力を争っていながら被告は解雇理由について一切明らかにしておらず、しかも本件を東京地裁に移送することのみに腐心していることからすれば、原告に対する「兵糧攻め」を狙っていることは間違いなく、そうであれば右陳述書には裏付けがない以上、虚偽の事実が含まれていると解して差し支えないものと言える。
以上から、原決定は旧民事訴訟法九条の「事務所又は営業所」に該当するかどうかについての事実を誤認しているものと言わざるを得ない。
なお、原決定は本件における特殊な勤務形態を考慮して原告の訴訟追行の負担を指摘しながら、争点整理手続において電話会議システムを利用することなどにより相当程度緩和することも可能ではないかとする(原決定七〜八頁)。しかし、右システムを利用したとしても原決定も認めるとおり、原告の負担が緩和されるとは断言できず、しかも解雇されて収入の道の無い労働者にとって、仮に出廷の回数が減ったとしても相当の負担になることは明白である。また原決定が、新民事訴訟法による新しいシステムによって本件を遠隔地に移送することを合理化するのは極めて不当である。本来裁判所の責務としては、公正かつ迅速な手続を確保することを要し(同法第二条参照)、また同法第一七条の規定する「訴訟の著しい遅延を避け、当事者間の衡平を図るため」ということからすれば、本件の管轄を神戸地裁に認めるという判断をすべきであった。
三、次に原決定は、旧民事訴訟法五条の義務履行地の裁判籍について、銀行振込の方法を取った場合、債務者が払込手続を取ったのであれば債権者への支払手続の確実性に欠けるところはないから、債務者が銀行の支店等に送金手続をした時点で義務の履行が終了したと解すべきであるとして、管轄を認めない。
しかし、右結論は法律の解釈を誤ったものである。
1 まず原決定は賃金支払義務の履行場所について当事者間の合意があればそれに従い、それがなければ民法第四八四条の持参債務の原則の適用を考慮すべきという(原決定八〜九頁)。厳密に言えば、本件のような金銭債務の場合、その履行場所は債権者の現時の住所において弁済することを要するものであり、例外的に当事者間での合意がある場合や取引慣行がある場合にはそれに従うことになるのである。従って、あくまでも例外であるから、履行場所について「別段の合意」があることの主張及び立証は、例外を主張する側にあると解される。
しかしながら、本件賃金支払債務の履行場所について、原被告間で「別段の合意」がされたとの主張又は立証はされていないことは明らかである。すなわち、原決定は、前記判示に続いて、「両者の間に右支払方法についての合意があるものと認める」というのみだからである。これは、賃金の支払方法として通貨払原則が定められているが、その例外として当事者間で合意をすれば口座振込が認められることを言っているに過ぎないのである(労働基準法第二四条、同法施行規則第七条の二)。従って、原決定は、賃金支払債務の履行場所の問題と支払方法の問題とを混同している。そのため、原告はあくまでも賃金の支払方法として口座振込によることの合意はしているが、履行場所について特に合意をしていないのである。敢えて履行場所の合意について言えば、原告名義の口座の場所である、さくら銀行甲南支店であるとしか判断しようが無いのである。
従って、本件賃金支払債務の履行場所については、民法四八四条の持参債務の原則が適用されるのである。
2 また、原決定は、前記に続き、債務者が払込手続を取ったのであれば債権者への支払手続の確実性に欠けるところはないから、債務者が銀行の支店等に送金手続をした時点で義務の履行が終了したと解すべきであるという。
これは要するに、送金手続の終了によって現実の提供があったとして、弁済提供の効果(民法四九二条)が発生していることを述べているものと解される。それでは、この前提として口座振込による場合に、債務の本旨に従ってなされた(同法四九三条)と言えるのはどのような行為がなされたときかが問題となる。
特に金銭債務においては、弁済は通貨によるのが原則であるが(同法四〇二条)、遠隔地に金銭を送金する場合、郵便為替、振替貯金払出証書及び銀行の自己宛小切手の交付をもって現実に提供したということに異論は無い。これは支払の確実性があることから認められたものである。しかし、この場合においても、郵便為替券等が債権者に交付されたことをもって、現実に弁済の提供をなしたと言えることに留意すべきである。すなわち、債務者においてはそれ以上の行為を要せずに、債権者において現金化が容易になしうるからである。
従って、口座振込の場合にも右と同様に考えて、債権者の指定する銀行口座に振込入金されたときに、債務の本旨に従って提供がなされたと解すべきである。すなわち、現実に債権者の指定した口座に入金されなければ、債権者としては現金化できないからである。そこで、特に債権者が払込手続の終了をもって、債務の弁済とみなすという特別の意思表示をしていた場合を除き、単に払込手続を終了したというだけでは現実の提供がされたとは言えず、その結果弁済提供の効果としての免責も受けられないということになる。さらに、本件においては賃金支払債務ということであり、通常の金銭債務の場合と異なり、労働基準法によって賃金確保のための規制がされていること(同法二四条、通貨払、直接払、全額払の原則等)から、容易に債務者すなわち使用者の免責を認めることはできないと解すべきである。
従って、賃金支払債務においては、債務者が払込手続を終了したというだけでは、弁済の提供にはならず、その結果免責の効果も受けられないということになる。
3 なお、原決定は松山地裁宇和島支部の決定(労民集三六巻四・五号五五四頁以下)と同様の判断をしていると解される。原告は、既に神戸地裁に対する意見書において詳しい反論をしているので繰り返さないが、ここでは一言のみ触れておく。すなわち、右決定は結論として、「被告の右送金債務にあっては民訴法五条の義務履行地は存在しないというのが相当である。」(労民集三六巻四・五号五五七頁)としているが、これは明白に不合理かつ不当な解釈としか言いようが無い。賃金支払債務について、銀行振込の方法によったことのみによって、通常財産権全般に認められている義務の履行場所が存在しないという解釈はおよそ成立しがたいものだからである。
四、よって、抗告の趣旨記載の裁判を求める。